かけ布団を跳ねのけ上半身を起こすと、進藤大二は額に浮かぶ冷たい汗をぬぐった。何度となく見たことのある夢だった。あろうことか、自分が担当する食品の沼に引き込まれるという夢だ。昭和49年、進藤は未知のジャンルに新規参入するにあたり群馬エリアを担当していた。トップブランドとして君臨するライバル企業の背中は、はるか遠くに霞んで見えるほど、その差は歴然としている。その牙城を崩す難しさ、自分の思いどおりにいかないことに対するジレンマが、悪夢の原因だった。
いまとなっては、ほろ苦くも懐かしい思い出である。だが当時、進藤は目の前にある課題に対してがむしゃらに突き進んでいた。

―なんとかシェアを逆転できないものだろうか。
ある日、上司が投げかけてきた言葉がすべてのはじまりである。それが現実を見すえた言葉なのか、単に理想として掲げた言葉なのかは定かではないが、販売戦略の急先鋒に進藤が立たされたことは動かしようのない事実だった。
それからというもの、販売店に出向いて情報を収集する日々がはじまった。仕入担当からは厳しい言葉も受けたが、対話を重ねるうちに徐々に進むべき道が開けてきた。トップブランドの調味料とおなじような戦略をとっていたのでは見当違いだ。セカンダリーには、セカンダリーとしてのアグレッシブな戦い方がある。そのためには、現場だけで解決しようとするのではなく、企業としての体制づくりが不可欠だった。

上司と相談した進藤は、本社に出向いて新しい販売体制づくりに奔走した。営業所のメンバーと協力して他県の担当者からも情報を収集し、とるべき方策を探った。気がつけば、ライバル企業の背中は以前よりはるかに大きくなっていた。

当時、シェアのデータは3ヶ月ごとに集計されることになっていた。新しい販売体制を整えてしばらく経ったとき、ついにシェアを逆転することに成功したのだ。その後、巻き返されてトップの座は奪還されたが、ある程度のシェアを安定的に確保することができるようになっていた。
群馬での一件で、進藤は身をもって多くのことを学んだ。課題を与えられたときに、はなから無理だと諦めずに正面からぶつかっていくことの大切さ。そして、情熱をもってメンバーが一体となれば、味の素グループには組織として動いてくれる度量がある、ということである。それは、いまも変わらない信念として、進藤が胸に抱いていることだ。

ある週末、進藤はいつものように妻と自宅近くのスーパーに出かけた。買い物がてら冷凍食品の陳列棚に出向き、乱雑になっている商品をきれいに並べ替えていた。長年、身についた習慣だ。傍らには呆れながらも目に笑みをたたえる妻がいる。その視線を感じながら、進藤は手を動かしつづけた。
進藤大二 daiji shindo
代表取締役社長

2005年、現職に就く
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